2010年6月  1.人間らしい生活
 「われら……は、われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認し、…………一層大きな自由の中で社会的進歩と生活水準の向上とを促進すること、並びに、このために、寛容を実行し、且つ、善良な隣人として互に平和に生活し、国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ、……、これらの目的を達成するために、われらの努力を結集することに決定した。」と国際連合憲章の前文は述べています。
 この文が誕生したのは今から65年も前になりますが、未だに戦火は止まず、人権と人間の尊厳が踏みにじられ、人と人、国と国の間の権利は等しからず、生活水準が極端に低いところがなくなるどころか、格差はますます広がってさえいます。
 「人間らしい生活」というとき、その言葉には豊かな意味が含まれています。霊肉を兼ね備えた人間そのものが豊かであり、複雑な存在だからです。第一に、身体的な条件、衣食住が最低限整っていなければ「人間らしい生活」とは言えません。
 イエスは人間の身体的な必要をよく理解してくださり、苦しむ人の病をいやし、目や耳や手足の不自由な人々を自由にし、人里離れた所で何千人もの人にパンをお与えになりました。同時にイエスは「人はパンだけで生きるものではない。(マタイ4・4)」とおっしゃり、「朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。(ヨハネ6・27)」と言われ、霊的な命のための食べ物、心の糧こそ一層大切であると教えられます。現代の世界と日本には、ものに囲まれながら、心の糧が得られず希望と真の喜び、生き甲斐を失っている人も多くいます。全人間的な、物心両面の糧が得られる本当に「人間的な生活」をすべての人が生きられますよう祈り、その実現のために全力を尽くしましょう。