2010年6月  3.司祭の聖化
 「わたしは、もはや世にはいません。彼らは世に残りますが、わたしはみもとに参ります。聖なる父よ、わたしに与えてくださった御名によって彼らを守ってください。……わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです。わたしが世に属していないように、彼らも世に属していないのです。真理によって、彼らを聖なる者としてください。」(ヨハネ17・11,15-17)
 イエスは十字架を目前にして、「父よ、時が来ました。」(ヨハネ17・1)で始まるこの「司祭的な祈り」を、弟子たちのためにしてくださいました。ここで「彼ら」とは、「世から選び出してわたしに与えてくださった人々」を指しますが、これは現代のキリスト者、修道者、とりわけ司祭をも念頭に置いてお祈りくださったのだと思います。
 現代社会に生きる司祭は、世のまっただ中に住み、人々の救いのために尽くすよう召されています。世から取り去られるのではありませんが、「世に属する者」でもありません。神に属する者であり、人々を聖化し、神へと連れ帰る使命を帯びている者です。
 現代の聖なる司祭のひとりペトロ・アルペ師は次のように書いています。「永遠に働きたもう御独り子の救いの活動のもとは、ただ御父と人々へのやむことのない愛である。我々もこの愛の体現者として人々の前に立たねばならない。……我々はこの愛を受けた者として、それを人々にゆきわたらせ、人々の愛を御父に帰させる一つの架け橋とならねばならない。」(『キリストの道』第四巻p.87) 
 神と人、天と地との架け橋は、唯一の仲介者・大祭司キリストであり、司祭はそのキリストの使命に与る者ですから、「もうひとりのキリスト」、キリストと同じように神に属する「いと聖なる者」となる使命を持っているわけです。生身の人間の力を越える召命であるので、「真理によって、彼らを聖なる者としてください。」と祈られたキリストと共に日々祈らなければなりません。