2010年7月  1.選挙における正義
 教皇ヨハネ・パウロ2世の回勅『新しい課題―教会と社会の百年をふりかえって』では「教会は、民主主義体制が、市民の政治的選択への参加を確かなものとし、自分たちを治めるものを選び、その責任を問い、必要な時には平和的手段で彼らを交代させる可能性を市民に保障する限り、民主主義体制を評価します。ですから教会は、国家権力を個人的利益やイデオロギー的目的のために奪い取る、少数者による支配集団の形成を、決して奨励することができません。真の民主主義は、法治国家において、正しい人間観に基づいて行われるとき、初めて存在することができます」と述べられています。
 古今の不正選挙と思われる事例を列挙するならば紙面が足りなくなります。つい最近でも、イランやエチオピア、アフガニスタンなどなどで選挙をめぐるトラブルがあったことが報じられています。ともすると、不正選挙と言えば発展途上国や独裁政治を行っている国々を連想しがちです。しかしながら、先進国と呼ばれる国々でも選挙にまつわる疑惑は絶えません。汚職、目に見える不正だけではなく、もっと巧妙な形で国民の意思をコントロールするような形での不正も行われます。
 ヨハネ・パウロ2世の言葉に、私たちはもっと深く耳を傾けなくてはならないでしょう。民主主義さえあれば、人間は正しい社会を作り出すことができるわけではないのです。民主主義が機能するためには、まず「正しい人間観」がなくてはならないのです。「正しい人間観」は人間の価値観を超え出る必要があります。政治を行う人は仕えられるためではなく、仕えるために働き、自分を犠牲にしていく。このような人間観をどのようにすれば、私たちは持つことができるのでしょうか。法やシステムによって得られるものではありません。つまるところ「イエスの愛」に触れていくことによってでしか、私たちは、私たちの狭い限界を超え出ていくことはできないのです。政治や選挙は問題が大きすぎて、私たちに何もできないと考えてはいけないと思います。今、ここから、私たちが「イエスの愛」を伝え、真の人間の姿を示していくこと、そこからすべては始まるのです。