2010年7月  5.目の前にいるその人との関係においてこそ
 選挙の不正、公務員の職権乱用、都市生活にみられる個人主義、地方との格差、突然キレる若者たち、無差別殺人、公共心の欠如、孤独死などなど、私たちの周りには数え上げればきりがないほどの問題が騒がれています。いったい私たちは何をしていけばいいのでしょうか。構造的な社会悪の問題なので社会システムを根本的に改革していく必要があるのでしょうか。そんな大きなことが、この私にできるのでしょうか。
 ここで振り返りたいのは、私たちの教会の歴史です。私たちの教会も、その歴史の中でしばしば霊的な刷新や、改革を経験してきました。霊的な緩みが生じている時代に、必ずと言っていいほど、教会を本来の姿に戻すために預言者的役割を果たす人物が登場してきます。彼ら、彼女たちはどのように教会にインパクトを与え、教会を刷新したのでしょうか。
 たとえばアシジの聖フランシスコを見てみましょう。彼は「私の家を建て直しなさい」という言葉を聞いて、教会の組織改革に着手したわけではありません。聖ダミアノ聖堂を修復しようとします。そして病気で見捨てられた人々を助けます。やがて彼の行為が、当時の教会にとって大きなインパクトを与えました。
 聖イグナチオ・ロヨラは何をしたのでしょう。対抗宗教改革の旗手として、教会内部の改革をまず始めた人物でしょうか。違います。彼もまた、目の前にいる人々の魂を救済するために、自身の霊的体験をノートに書きつけた『霊操』を使いながら、人々を助けることに奔走した人物です。後に対抗宗教改革の中心的な人物として評価されるとは思ってもいなかったことでしょう。
 教会の刷新に影響を与えた人は皆、自身の個人的な回心体験を通して、目の前の人々を救うこと、目の前にある問題を解決することを大切にしました。このことは私たちに大切なことを教えてくれます。私たちは何も大きなことを始める必要はないのだということです。社会構造を改革しなければ、と大上段に構える必要もないのです。まず私自身に神が何を問いかけているかに耳を傾けていくことです。そして、今、目の前にいるその人に対して働きかけることです。すべての物語はそこから始まるのだということを教えてくれているのではないでしょうか。