2010年9月  1.真の発展と愛
 教皇が一般の意向で掲げている文章に、「世界の中で発展の遅れている地域」という表現があります。また、「真の社会発展に向けて働く力」を神に祈り求めるように奨めています。発展とはどういうことなのか、理解を深めながら、神の望む道を見出すことができるように、祈ってまいりましょう。
 国語辞典をひもとくと、発展とは「物事の勢いなどが伸び広がって盛んになること。物事が、より進んだ段階に移っていくこと」と書かれています。 9月の意向の中では「物事」とは「社会」だと捉えてよいでしょう。国語辞典では、社会とは「人間の共同生活の総称。また、広く、人間の集団としての営みや組織的な営みをいう」となります。とすれば、私たち一人ひとりが、ともにいのちの営みを続けているこの地球で、一人も欠けることなく、勢いを増し、ますます盛んになって、より進んだ関係を持つ段階に移っていくことと考えることができるでしょう。
 イエスが神から託されて、私たち人間の最も大切な掟として示しとものは愛でした。したがって、神が望まれる真の発展とは、互いに愛し合う関係の中で、勢いが増して盛んになり、より進んだ段階に移っていくことだと考えることができるのです。ところで、この互いに愛し合う関係は、ほんとうに発展しているでしょうか。現実に起こっているさまざまな事件や事故、そして私たち日常生活の一コマ一コマを思い浮かべてみても、愛の勢いはむしろ衰えて、飢えたり渇いたり苦しんだりしている人に無関心でいることが増えてきてはいないでしょうか。自分だけの発展に力を注ぎ、自分の無関心が闇の力の勢いを助長していることなど、見ないようにしている現実があるのではないでしょうか。
 社会の発展とは、人類が培ってきた知恵や技術が、すべての人の役に立つようになることではないでしょうか。経済の発展とは、人類が蓄えてきた富を、すべての人が平等に分かち合うことができるようになることではないでしょうか。社会発展をもたらす神のことばは、「分かち合う愛の心」ではないでしょうか。