2010年9月  4.戦争地域のためのとりなしの祈り
 戦争は、憎しみのはけ口であるよりも、だぶついた兵器の在庫一掃の意味の方が大きい、と聞いたことがあります。そうなると、戦争は武器生産ラインの都合で定期的に引き起こされることになります。戦争を仕掛ける側が大義名分を作れば、金もうけのために戦争ができてしまう恐ろしい時代です。このサイクルを変えようと必死になる人々も大勢いますが、そのような兵器の生産で生計を立てる人々も大勢いて、すでに相当数の人々がその中で生きています。
 人を殺すという社会的には悪とされる兵器の生産が、すでに社会のシステムとして組み込まれています。このような社会にあって、キリスト者ができることは限られています。しかし、世界各国で起こっている戦争の悲劇に無関心であってはなりません。神は、裕福な国の人にも貧しい国の人にも同じいのちを与えておられます。戦争が引き起こされた地域の貧しい人たちのいのちや生活権が奪われることに、神はいつも心を痛めています。そのことを心に留めましょう。
 平和な日本に住んでいると、戦争が遠いものに感じられてしまうかもしれません。そこで、一つの工夫ですが、数ある戦争地帯の中で、一つを選びその戦争が終結するように、とりなしの祈りを継続することをお勧めします。その戦争に関する情報があれば確認して、祈りの意向の時に反映させます。そのような態度で、継続して唱えるとりなしの祈りには、力があります。また、自分の身の回りの関わり方にも影響していきます。遠く離れた地の苦しむ人たちとの連帯が何らかのかたちで組み上がっていきます。
 小さな祈りから社会を平和に向けて変えることができます。戦争や紛争の終結のために、世界が一つになって祈りをささげることは、神の望みにほかなりません。