2010年10月 4.「世界宣教の日」に合わせて |
教皇ベネディクト十六世は、10月24日の「世界宣教の日」を、10月の祈りの意向の頂点に位置づけ、「世界宣教の日が、人類のために呼び集められた教会にとって、キリストを告げ知らせることが最も必要な奉仕であると、理解する機会となりますように」と願っておられます。 第二バチカン公会議は、次のように教えています。「キリストは諸民族の光であるから、……すべての被造物に福音を告げることによって、教会の面上に輝くキリストの光をもって、すべての人を照らすことを切に望む。教会はキリストにおけるいわば秘跡、すなわち神との親密な交わりと全人類一致のしるしであり、道具である」(『教会憲章』1)。 人類のために呼び集められた教会が、諸民族の光であるキリストを、その面上に忠実に輝かせる救いの道具となることが、教会の福音宣教の根本的な務めです。そのために、教会は、まず自らを福音化することから始めなければなりません。 インドのコルカタで活躍したマザー・テレサは、かつてカトリックの記者から「現代の教会を見て、悪いと思われるのはどんな点でしょうか」というような質問を受けたことがありました。そのとき、マザー・テレサは「それは、あなたと私です」と答えたと言われています。「現代の教会」を、第三者的な目で批判するのではなく、「現代の教会」の一員である「あなたと私」が、まず自分自身に反省の目を向けるよう、教えてくれているエピソードではないでしょうか。 まことの光であるキリストを諸民族に輝かせる道具(秘跡)となるよう、人類のために呼び集められた教会の一員として、まず、私たち自身が、キリストを忠実に輝かせる者とならなければなりません。そのために、私たちは、洗礼によって注がれた聖霊によって、神が私たちの心に住み、弱い私たちの中で働き、私たちを福音化してくださることを思い起しましょう。 |