2010年11月 3.愛のといつくしみのグローバリゼーション |
グローバリゼーションは、政治、経済、文化、コミュニケーションなど、いろいろな側面をもつ複雑な現象です。嘆かわしいことですが、最も広まっているのは経済の分野で、このことによって人間の他の生活範囲が条件づけられてしまいます。 経済のグローバリゼーションでは効率と生産性が、すべての人間関係を統制する基準として絶対的なものとされます。これらすべてのことによりさまざまな不平等と不正がもたらされます。 したがって、経済のグローバリゼーションの状況下では、人間の生死にとって最も重要な現実的価値観に基づいて状況を判断し、行動することができません。例えば真理、正義、愛、そして特に人間が人間らしく生き、すべての人が人権を尊重されるといった価値基準が、ないがしろにされているのです。 経済のグローバリゼーションは、利益を特定の人々に集中させるために、競争へと人を駆り立てます。その結果、権力と富を少数者に集中させ、マス・メディアや人的資源の分野で、能力や情報の十分でない人々を疎外します。このようにして、格差は広がり、数えきれない多くの人々が貧困から脱出できなくなります。知識が充分に与えられないために新しい技術を使うことができないといった、貧困の原因の一つが現れてきます。 このような経済のグローバリゼーションに対して、ラテンアメリカの司教会議に参加した司教たちは、連帯性、正義、そして人権推進を中心とする別の次元のグローバリゼーションを提唱しています。連帯性のないグローバリゼーションは最も貧しい人々に悪影響を与えます。搾取や抑圧の現象という問題だけではありません。社会的疎外という新しい問題です。このグローバリゼーションでは生きている社会に属しているかということが、根本的に疑われるようになります。もはや社会の下層や周辺ではなく、外に追い出されてしまいます。疎外された人々はただ搾取されているだけではなく、いらないもの、そしてゴミとされます。 ラテンアメリカでは何百万もの人々や家庭が貧困や飢餓の状態にあります。多くの人が孤独になり、家族や社会のつながりを切られています。高齢者も生産社会から疎外されたと感じるだけではなく、自分の家族からも邪魔で役に立たない人として拒否されることがよくあります。 経済のグローバリゼーションに対抗して、愛といつくしみのグローバリゼーションが進んでいくことを願って、この一週間をささげましょう。 |