2011年1月 1.創造の賜物であるわたしたちの生 |
![]() トマス・アクィナス(1225-1274)は、「創造とは、…存在の新しさを伴う神への或る関係である(creatio est … relatio quaedam ad Deum cum novitate essendi : Pot q. 3 a. 3 c)」と述べています。これはもちろん、ユダヤ―キリスト教における創造理解の定義めいた定式化などではありませんが、それ自体からは脆くはかないすべて存在するものの有限な現実がただ唯一神へと依拠していることによって、存在の絶えざる刷新に与り存在の深まりへとも邁進してゆくことを表明しています(「見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する」イザヤ65・17)。時間的経過の推移によっては衰微・荒廃・没落といった様相を呈する生命体が、更新された時の開示と共に新たな命へと脱皮します(「たとえわたしたちの〈外なる人〉は衰えてゆくとしても、わたしたちの〈内なる人〉は日々新たにされてゆきます」二コリント4・16) ― この「死して成る」という現実の最内奥の秘儀こそ、試練を経たキリスト教信仰が《神の絶えざる創造》の在り処として体得し得たものに他なりません。 してみれば、このような《創造の信仰》に ―賛美と感謝をもって― 自らを奉献した者である私たちは、この世の移ろいゆく諸相の中に身を置きつつも、今日その内に生が営まれている地球環境全体も複雑な歴史的展開を遂げてゆく人間的諸事象も、神の創造の業が営まれる賜物として見出す態度を培う必要があるでしょう。現代の世界に蔓延する〈死の文化〉に抗して〈創造の文化〉を信仰から打ち立ててゆくこと(参照 ―教皇ヨハネ・パウロ二世 回勅『いのちの福音』)を、2011年の年初の抱負とし、過ごしてまいりましょう。 |