2011年1月  4.創造の息吹と人間の尊厳
 今一度、ユダヤ‐キリスト教伝承を通しての〈創造 creatio〉の理解が、今日の歴史的世界状況において〈人間に固有な尊厳と卓越(dignitas et excellentia hominis)〉に新たに目覚める上で決定的意義を持つことに注目し、絶えざる創造の営みであられる神への賛美と祈りの糧としたいと思います。
 ユダヤ‐キリスト教信仰が「無からの創造(creatio ex nihilo)」として見出した現実の内奥における真実相は、起源なきゼロ状態からの再生が、ただ神の憐れみ深い無条件なる愛によって可能となり活性化することに他なりません。何らかの先行条件や時間における経過からの連続性に依存することなく、状況を根底から刷新する能動的な愛こそは創造の息吹であるのです。だから、故郷世界を剥奪された数多く難民にその人生に活路が開かれるような新たな世界性 ―〈神の国〉の秩序 ― を建設する献身的な愛の業において、また追いはぎにあって瀕死の身にあった人を無償で介抱したサマリア人のたとえ話(ルカ10・31-36)に見られるような隣人愛の状況に限定されない発露にも、創造の営みは顕著です。不可抗力の限界状況を克服し、どのような世界内部的な連関からも由来したのではない刷新的リアリティーを無尽蔵にみずみずしく打ち開く深淵は、ただ信仰者が〈神という沈黙寸前のことば〉をもって呼び求めることしかできない、人間存在にとっても究め難い無底でしょう。しかしこのような深淵からの名状し難い慈愛によってのみ、歴史的現実の暗闇は突破され、取消せないほどに傷ついた人の心というものも創造的に回復され得るのではないでしょうか。
 「あなたは御自分の息を送って彼らを創造し、地の面を新たにされる」(詩編104・30)」「主はとこしえにいます神、地の果てに及ぶすべてのものの創造主であって、倦むことなく、また疲れることなく、…弱った者には力を与え、勢いを失っているものには強さを増し加えられる(イザヤ40・28-29)」「… イスラエルよ、あなたを創造された主は今、こう言われる。わたしはあなたを贖う(イザヤ43・1)」― これらの旧約聖書のことばを黙想するだけでも、神的創造の絶えざる活動は、人間を焦点とし、人間の生が神に慈しみの愛の内に新たに〈いのち〉を得て真実化することへと向けられています。聖書信仰の広い土壌において、贖(あがな)いと創造の業は一つに結ばれており、正に人間の自己理解に開かれる覚醒においてこそ、その結晶を見ることが充分に見て取れると言えるでしょう。