2011年2月 2.病者への奉仕 |
病気の苦しみにある人を一人も知らない、という人はいないでしょう。家族、友人、同僚、隣人の病気の苦しみを、そして自分自身の病気の苦しみを私たちは知っています。病気の苦しみは、私たちの最も身近にある苦しみです。その苦しみは単に肉体的な苦痛だけを意味しているのではありません。将来への不安や焦燥、死への恐れ、社会との隔絶、周りの人たちの偏見や差別など、さまざまな精神的苦痛をも含んでいます。否、むしろ、その時の瞬間瞬間の肉体的な苦痛よりも、精神的苦痛の方がずっと大きい場合がしばしばです。 しかし、同時に病の苦しみは、私たちが愛の絆を結んでいく端緒となり、その愛の絆によって癒され、病を通して神の栄光が顕れるものとなります(ヨハネ11・4)。福音書には、主イエスが病の苦しみにある人々を深く憐れまれ(マタイ14・14、他)、その人々に命がけの愛を注ぐことによって、多くのしるしを行われたことが記されています。また「正しい人たちが王に答える。…『いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見てお訪ねしたでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』」(マタイ25・39-40)と語られ、病者への奉仕がご自分への奉仕と一つのものであることを示して、病にある人々に心を注ぎ、奉仕していくことを求めておられます。 病気の人に寄り添い奉仕していくことは、私たちが神の子として、キリストの弟子として「互いに愛し合う」生き方を実践し、言葉よりも行いをもって私たちの信仰を最も良く表すものの一つです。私たちの共同体が病者への奉仕を通して、人と人とを愛の絆で結ばれるキリストの現存を、そして天の国の喜びを、神の栄光を、伝えていくことができますように。 |