2011年2月  4.最も大切ないのち
 「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。(マルコ8・36-37)」

 今月の意向は、私たちの日常のいのちのあり方を問うています。いのちが最も大切なものとよく言われ、また自分でも分かっていながら、同時にまた本音の部分でいのちより大切にしているものがいろいろあるように思います。経済的な繁栄や社会的な効率や名誉、他者より優位な立場に立つことなどなど。現代に生きる人々は多かれ少なかれこのような自己矛盾の重荷を負い、疲れているのかもしれません。
 イエスは各々自分の十字架を負ってわたしに従いなさいと言われます。イエスに従う道にもくびきがあります。イエスのくびきは、イエスに従って負う荷は、愛そのものであり、くびきというより神の創造によっていのちが本来本性的に持っている核心のようなものなのでしょう。愛する、すべての人のいのちを大切にする、という荷をいのちが負う時、いのちはそのありのままの本性に落ち着きます。その時、初めていのちは真の安らぎと幸いを得ることができます。それは決して変わることのない永遠の真理です。
 私たちはこのイエスのくびきを負うことを避けようとして、負う意味のないありとあらゆるくびきを自ら背負いこみます。
 私たちがイエスに従って今負う重荷を下ろし、愛するというイエスのくびきを負っていくことができますように。
 そして、すべての人々に、今背負っている重荷を下ろしてイエスのくびきを負っていく喜びを伝えていくことができますように。