2011年2月の意向 |
未来永劫にわたって、人類をはじめとするすべての被造物が限りある地球の資源を使い続けていくためには、人類は繁栄を求め続けているだけでよいのでしょうか。 日本の意向で取り上げた「お告げの祈り」の言葉の中で、教皇は、人間の目指すべき目的は神ご自身であるとはっきりと述べています。社会の仕組みも、科学技術も、神ご自身である愛のわざのためにはどのようにすれば役立つことができるか、知恵を重ねていかなければなりません。 そして、いのちが育まれ、看取られる場所の中心である家庭が尊重されて、その優しい輪の中で病気の人が助けられ支えられることは、神ご自身が最も望んでおられることなのでしょう。 一般: 家庭の尊重 社会の成熟にとって、他とは比べられないほどの貢献をなす家庭が、ますます尊重されますように。 宣教: 病者への奉仕 キリスト者の共同体が、病いとの戦いが急務となる現場で、病者への奉仕をとおして、キリストの現存を示すことができますように。 日本の教会: 日本社会におけるいのちの保護 日本の社会で、受精から自然死に至るまでのすべての人のいのちが守られますように。 「現在の経済危機の中で、貧困を作り出し、社会の大きな格差を生み出しながら、いのちを傷つけ、損ない、とくにもっとも無力で無防備な人々を襲う機構(メカニズム)は悲惨の度合いを深めています。それゆえ、このような状況は、貧困と困窮を克服するための完全な人間的発展を推進することを求めるとともに、次のことを思い起こさせます。人間の目指すべき目的は、繁栄ではなく、神ご自身です。そして、人間の存在をそのあらゆる段階において守り、助けなければなりません。実際、だれも自らのいのちの主人ではありません。むしろ、すべての人は、受精から自然死に至るまでのいのちを守り、尊重するよう招かれています。」 ――教皇ベネディクト十六世 (2010年2月7日「お告げの祈り」のことば) |
写真: 岸 秀雄 |