2011年3月  1.ラテン・アメリカの正義と平和
 今月はラテン・アメリカの正義と平和のために祈るよう招かれています。まずラテン・アメリカ特有の状況を見て、日本にもあてはまることを考えたいと思います。
 現在ラテン・アメリカでも著しい科学技術の進歩が見られます。しかしそれらの進歩が市場経済と利益のためにだけ用いられるとき、価値観が変化してきます。マスメディアを通してさまざまな情報とともに美的センス、幸福感、人間関係などが深まっていくことはよいことです。しかし、それがあまりにも狭い、個人的利益や楽しみのためだけに用いられるならば、従来とは異なる感じ方が作られていき、結果として本物の人間らしい文化が破壊されていきます。というのも、真の人間的な文化は、個人と集団が深く関わることによって形成されるものだからです。
 具体的に現われる弊害は、人工的な文化を押し付け、地元の文化を軽蔑する傾向です。この文化は、個人の自己中心的な態度を特徴とし、人に対して無関心で、他者を必要とせず、責任も感じません。長期的な展望もなく、共同体のきずなもありません。人間関係は消費財とみなされ、責任感を伴う情緒的な関係は築かれていきません。
 その結果、個人的で主観的権利を極端に主張する傾向が見られるようになります。この主張は独断的で、倫理的な問題には関心がありません。社会的、文化的そして他者の権利を保証するような努力をせず、自分たちの思うままの権利を主張し、すべての人の尊厳を損ないます。特に、最も貧しく最も弱い立場に置かれている人がその被害を受けるのです。
 一方で、ラテン・アメリカの女性の尊厳についても目を向ける必要があります。家庭や他のさまざまな場所で、女性あるいは少女たちが危険にさらされています。レイプ、セクシュアルハラスメントなどの暴力によってです。その他にも、職場や政治経済の分野での不平等があげられます。
 状況は同じとは言えませんが、日本でも人間らしい文化の破壊、他者に対する無関心、自己主張の点では同様の問題が見られます。女性の地位の低さ、差別などがまだ残っており、これらの点で欧米やアジアの一部の地域よりも遅れていると言えるでしょう。
 このような現状に目を向け、社会に正義が浸透し、平和が保たれるように、祈り願いたいものです。