2011年3月  3.福音のために迫害され差別されている人々
 使徒言行録に記されているように、パウロとバルナバはイコニオンでユダヤ人の会堂に入って話しをしました。そこでは大勢のユダヤ人やギリシア人が信仰に入りましたが、信じようとしないユダヤ人たちが混乱を起こします。町の人々は分裂して、二人に乱暴を働き、石を投げつけようとしたので、二人はリストラとデルベに行って、そこで福音を告げ知らせました。
 また、テサロニケでパウロとシラスの話しを聞き、多くの人たちが信じて彼らに従いました。しかしユダヤ人たちは、妬みで心がかたくなになり暴動を起こします。パウロとシラスはベレアに退くことになります。そこのユダヤ人たちは素直で非常に熱心にみことばを聞き信仰に入りました。しかし、ここにもテサロニケのユダヤ人が押し掛けてきて群衆を煽動し騒がせるのです。
 福音が宣べつ絶えられる所では分裂が起こります。受け入れる者と受け入れない者、信じる者と信じない者に分かれるからです。信じない者たちは容赦なく迫害の手を伸ばします。
 その後どの時代でも、またどんな国でも、キリスト信者の迫害が続きました。ローマ帝国、イスラム教徒による迫害が15世紀まで続き、多くの殉教者が出ました。16世紀から19世紀には、アジアとアフリカの教会で多くの人が迫害を受けて亡くなっています。
 その中でも日本の殉教者は特別で、他の国では見られない素晴らしい歴史を築きました。250年の間、宣教師のいない、司祭のいない環境の中で、信徒は信仰を立派に守り抜き、その信仰を子孫に確実に伝えました。2009年11月に列福されたペトロ岐部と187人の殉教者の中には、信仰のために命を捧げた家族も多く見られます。
 今世紀に入っても福音のための迫害は続きます。イラク、エジプト、インド、インドネシア、などの教会は荒らされ、カトリック信者が殺されています。
 このような迫害の中で、信仰を生き抜くとはどういうことでしょう。
 迫害の最中にある兄弟姉妹が、この世の命に変えられない、もっと大切なものをしっかりと見つめ、大切にし、後の時代に語り伝えるために、この世的なものを超えた光に照らされ、力づけられて歩むことができますように。