2011年3月  4.日本のキリスト者が愛のわざに励む
 キリシタン時代の布教初期から各地にコンフラリアと呼ばれる組織が出来ました。信心会のようなもので、一定の活動や信心を行う信者集団です。その中でも「ミゼリコルディアの組」または「慈悲の組」とも呼ばれる集団が福祉活動を行っていました。
 ミゼリコルディアの組はイタリアで起こったものです。無報酬で貧しい人や病人を世話したり葬儀を営んだりして、福祉活動に取り組む信心会で、病院や孤児院の建設、経営などに力を入れていました。迫害が厳しくなると、この組の慈悲の精神は、同じキリスト教信者のみに向けられるようになり、信仰を維持するための組織に段々と変貌していきました。

 イエズス会の宣教師たちの手によるキリスト教の教理問答書、当時の公教要理であった「ドチリナ・キリシタン」には、マタイ福音書25章31〜40節のキリストの言葉に基づいて、兄弟愛の身体的実践として次の7つのことが教えられています。「飢えた者に食を与える事。渇いた者に飲み物を飲ます事。肌を隠せぬ者に衣類を与える事。病人と牢にいる者をいたわり見舞う事。行脚の者に宿を貸す事。とらわれ人の身を請ける事。人の遺体を葬る事」。このような教えの実践が、厳しい迫害の中にあってもキリシタンの共同体的な助け合いを実現し、信仰を支えたのです。転びキリシタンに対しても大きな支えになりました。

 転びキリシタンとは、キリシタン信仰を捨てた者のことを言います。聖職者の場合は、転びバテレンなどと称していました。転び者は請人手形と起請文などを書かされて釈放されましたが、親兄弟や子孫に至るまで登録され、監視下に置かれました。ミゼリコルディアの組では、転びキリシタンたちが互いに励まし合い、表面上は転び、宗門寺に属したとはいえ、潜伏キリシタンとして幕末まで信仰を伝え、1865(慶応1)年以来、いわゆる キリシタンの復活に至ったことは特筆に値します。