2011年4月  5.神の言葉が響きわたる良心を育てよう
 クリスチャンは、人間という存在が神から幾重にも大切にされている、と知っています。まず、私たち人間は、神がご自分に似せ、神との対話ができる存在としてお造りくださるほど、大切にされています。また、私たちを罪の虜から取り戻すためにご自分のひとり子イエスを身代わりになさるほど、人は神に大切にされています。そして、神の子、イエスの弟妹、聖なる霊の住いとなって、神ご自身の永遠のいのちに与るよう働きかけてくださるほどに、神はわたしたちを一己のかけがえのない存在として大切にしてくださいます。まして、ミサの中でキリストのからだを拝領する恵みに浴するクリスチャンは、自ら私たちを生かす糧となってくださる主の愛に打たれ、どれほど自分たちが大事にされているかを思い知ることでしょう。
 人は、創造主である神の囁きを聞き分け、愛そのものである方の促しに応答することができる存在として造られています。そのような人間存在の深みからの溢れ、すなわち、生ける神との生きた交わりの可能性を指して、私たちはお互いを「人格」と呼ぶのです。また、イエスご自身や聖書が「神の言葉」であると言われるのは、聖書への傾聴とイエスへの信従が、私たちの「人格」を目覚めさせ、創造主の囁きや愛そのものの促しに敏感にならせてくれる、という意味でもあります。
 このように、いのちと愛の与え主からの呼びかけを聞き取らせ、それに応答させてくれる「神の言葉」が響きわたる場を、私たちは自分の内に有しています。「良心」と呼ばれるものがそれです。人生の意味と希望を求める若者たちの煩悶、キリストに出会っていない人々の内面で胎動する救いの渇望、そして、平和とは無縁とも思える聖地にあって、なおも平和の君の到来を告げ知らせ続ける教会の確信、そのどれもが、人間である私たち皆の「良心」にこだまします。そのような他者の煩悶や渇望や確信の響きに覚醒され催促され激励されることなしに、より人間らしい行動へ、人間としてよりふさわしい生き方へと歩を進めることは、迷いやすく躓きやすいわたしたち人類には到底できなかったでしょう。
 3月11日、灰の金曜日、東日本の大半を襲った大地震と津波、それに誘発された原発事故。この災害の影響下に、私たちは、今も、共に、置かれています。確かに、復興の意思が挫かれそうになるくらい、被害も犠牲も甚大です。でも、投げ出すことなく助け合い、人として与えられた生を共に全うしよう、との深く強い望みが掻き消されることはありません。このような共生への揺るぎなき決意も、実に、私たち人間皆が共有する「良心」の内奥でなされるのです。
 神、人、自然との三様の和解を呼びかける「神の言葉」が響き渡りますように!
 「神の言葉」に敏感で従順な「良心」のすこやかさが守られますように!
 喜んで「良心」を育て合う世界を、皆で、築いていけますように!
 アーメン。