2011年5月  1.報道における真実、連帯、人間の尊厳
 3月11日以来ニュースの大半は、大震災の被災者について、避難所の労苦に満ちた生活とそれを援助する全国の人々の善意やボランティア活動について、原子力発電所の事故とその収束に向けての懸命な努力について、復興を目指す真剣な努力と協力について、などの報道に当てられています。ニュース以外の番組も、多くは被災者を励ます言葉、メッセージ、祈りに満ちたものになっています。

 どこから手をつけていいのか分からないような瓦礫の山、わが子を、父を、母を、友人を失った人々の悲嘆にくれた姿の報道に胸が痛みます。津波によって妻と二人の子を失った若い父は「ローソク一本の灯があれば十分です、家族がいれば」と言いました(TV)。 小学3年生と1年生の姉妹をなくしたお父さんの言葉に目頭が熱くなりました(ラジオ)。津波で流された駅を、地震の2分前に反対方向に発車したに2列車が、片方はかろうじて助かり、片方は津波に流されてしまった記事を読みました(新聞)。

 そのようなつらい現実の中に、一筋の光明を与えるものは、わが同胞たちの善意と寛大な心です。自身の診療所が流されてしまいながらも、避難所で日夜診療を続ける医師と看護師たち、避難所でかいがいしくお年寄りの世話をする自身も被災者である中学生・高校生、いち早く燃料を、食料を、衣類を、紙おむつを大量に届けようとする全国の人々、果てしない瓦礫の山を撤去し、人命を救助し、道を開き、遺体を捜索し、自らの健康を危険に曝しながら懸命に原発事故の収束に向けて尽力している消防士、警察官、自衛隊員、東京電力および関連企業の従業員、全国から駆けつけて労を惜しまず働いているボランティアの人々、などなどの献身的な姿に頭が下がります。

 日本国内だけでなく、世界各国もいち早くさまざまな形で寛大に援助をし、祈ってくださっています。『人間と言うものは、いいものだ!』としみじみ感じることの多かった一ヶ月でもありました。

 これらのことを、私たちに伝えてくれるのが報道に携わる人々であり、伝達手段(media)です。個々の人と人、被災地と家庭、日本と世界を結ぶ働きをしています。この度のような非常時に、正確な情報は人々を冷静に適切に行動させ、地震速報、津波警報などにより人命の救助につながり、人々の心を備えさせたり、安心させたりします。

 大震災以後のmediaは、概ね人々の善意と温かな心を引き出すような役割を果たしていると思います。このような大きな試練の中にあっても、人間としての礼節と誇りを失わず、被災者同士が助け合い、譲り合い、励まし合い、すべてを失いながら、まだ復興に向けて決然とした意志を映し出してくれるとき、その報道を見る人も、心からの応援を送り、自分たちも頑張らなければという気持ちを起こさせます。未曾有の大災害に見舞われた東北の人々を中心に日本中の人々がいつにもまして一つになっていることを感じますが、その仲立ちをしているmediaの力が大きく働いているからでしょう。

 一方、情報の選択や伝え方を誤れば、いたずらに人々の不安をあおり、風評被害の元になることもありえます。視聴者に感動を与えようとするあまり、悲しみのさなかにある人のもっとも内密な聖域にまで立ち入り、無遠慮な質問をすると言った場面もありました。

 『きょうをささげる』の一般の意向を結びの祈りとしましょう。
 報道に従事する人々が、真実、連帯、そしてすべての人々の尊厳を大切にして、よい働きができますように。