2011年6月 1.主の昇天―宣教への決定的な派遣 |
主の復活を祝いながら、聖母マリアとともに祈りのうちに過ごしてきた五月も終わりを告げて、六月に入りました。教会の典礼暦では、主の昇天を記念するときを迎えています。 昇天される前に、イエスは十一人の弟子たちに仰せになりました。 「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。……わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28・18b-20)。 これは、イエスが弟子たちを宣教に向けて派遣する決定的な場面です。これに先立って、イエスは弟子たちに仰せになっています。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(使徒言行録1・8)。 昇天前のイエスの言葉には、二つの大きな約束が示されています。それは、第一にイエスが世の終わりにまで共にいてくださるということ、また、第二に、聖霊を注いで力を与えてくださるということです。何という慰めに満ちた力強い約束でしょうか。 六月は「イエスのみ心の月」と言われることもあります。昇天前のイエスの約束は、イエスの死と復活の証人として、地の果てに至るまで宣教に遣わされる弟子たちに対するイエスの優しい心遣い、み心の愛を示すものです。福音宣教はしばしば殉教(死)さえも覚悟しなければならないほどの苦難を伴うものです。 イエスの証人となる宣教の使命は、弟子たちだけではなく、わたしたち一人ひとりに委ねられた重大な務めですが、六月の祈りの意向に合わせて、とくに教会が宣教的な共同体として成長できるように生涯をささげて奉仕しておられる司祭を、イエスのみ心に委ねて祈りましょう。「司祭が、キリストのみ心に結ばれて、思いやりといつくしみにあふれる神の真理を、常に証ししていくことができますように」。 |