2011年6月  3.福音宣教の力の源泉であり目標である三位一体
 昇天される前に、イエスは11人の弟子たちを全世界に向けて派遣するにあたり、仰せになりました。
 「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28・18b-20)。
 私たちが何となく、毎日、唱えている「父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。」という短い祈りは、このマタイ福音書の言葉に基づいて、私たちの洗礼を記念するものです。しかしながら、日本語のニュアンスの問題でしょうか。「父と子と聖霊のみ名によって」という文章の意味が心に響かないことがあります。この箇所のギリシャ語原文を紐解いてみると、「○○○の名によって」とは、「その名の方の支配下(庇護の下に)入るというニュアンスが込められているようです。
 すなわち、「父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。」という短い祈りには、三位一体のいのちに迎え入れられたことを記念する洗礼の恵みと同時に、その恵みが決定的なものとなる、私たち一人ひとりの死から復活のいのちへの過越という究極的な目標が、込められています。
 父と子と聖霊の愛といのちの交わりこそ、私たち人間の存在の源泉であり、また、同時に、人間の存在がそこへ向けられている、究極的な福音宣教の頂点です。キリスト教が異国の宗教のように感じられ、その宣教が困難な日本の社会の中にあって、私たちは日本に滞在する外国籍信徒の方々との協力を通して、福音宣教の新たな姿を模索するよう招かれています。日本の教会が、イエスの宣教の命令にふさわしく応えていくことができるように、ともに祈りましょう。