2011年6月  4.福音宣教の原動力であるキリストの聖体
 キリストの聖体を祝う祭日(主日)の直後の金曜日に、教会は、毎年、イエスのみ心の祭日を祝います。イエスのみ心の信心は、とくにフランスのパレ・ル・モニアルの訪問会修道院において、聖体の前で祈っていたマルガリタ・マリア・アラコック修道女に、いく度かイエスご自身が出現されて、み心への信心について私的な啓示を授けたことが、その起源とされています。
 マルガリタになされた出現の中で、イエスの胸にはその心臓が見えるようになり、槍で開かれた傷からは愛を象徴する炎が出て、イエスを傷つける人々の罪を象徴する茨の冠が、心臓に絡みついていたと言われています。最もよく知られている出現(1675年6月)のとき、マルガリタはそのとき心に響いてきたイエスの言葉を、次のように書き残しています。

 「この心をご覧なさい。人々を愛するあまり、自ら燃え尽きるまで惜しまず与えて、愛を証ししようとするわたしの心を。それに対して、とくに、聖体の秘跡において、わたしが多くの人々から受けているのは忘恩、不敬、冒讀、冷淡、無関心でしかないのだ。」

 教皇ピオ9世は、1856年8月23日、イエスのみ心の祭日を全教会のものとして祝うように公布しました。また、教皇レオ13世は回勅『アンヌム・サクルム』(1899年5月25日)をもって、1900年に人類をイエスのみ心に荘厳に奉献し、こうして、イエスのみ心への信心は徐々に世界の教会に広がってきました。
 現行の典礼では、「キリストの聖体の祭日」(主日)直後の金曜日に、「イエスのみ心の祭日」が祝われています。とても意義深い関連性が示されています。イエスのみ心への信心は、聖体の秘跡に現存されるイエスへと、私たちの心を向けさせてくれます。そして、キリストの聖体の秘跡こそ、教会の宣教活動の原動力となるものです。イエスが、私たちをどれほど愛しておられるのかを感じ取り、それに応えていくことができるように祈りながら、6月を締めくくりましょう。