2011年7月  3.すべてのキリスト者の証し
 主イエス・キリストは、使徒たちを派遣するにあたって、すべての国の人々を弟子にするようお望みになりました(マタイ28・18-20)。このことから言えば、教会の本質的な特徴の一つは、『遣わされた』ものであるということです。初代教会の時から、教会は、「すべての人々に主イエス・キリストを告げ知らせるために遣わされている」という本質的なあり方を生きてきました。
 この使命は、すべてのキリスト者に委ねられており、いわゆる宣教師だけではなく、どのキリスト者も主キリストを証しするために遣わされた者です。
 『証し』は、主キリストを伝える具体的な行為です。キリスト者の日常の振る舞いを通して、主キリストが紹介され、人々はそれによって主と出会います。キリスト者の行為に映し出されるキリストは、癒しのキリストであったり、赦しのキリストであったり、そして、究極的な場合には、十字架のキリスト、殉教であったりもします。現代の多くの人々は、聞くことよりも、目に見えないものを目に見えるもの、生きたもの、具体的なもの、感得できるものとして触れたいと望んでいるのではないでしょうか。
 宣教に派遣されている者の証しのために祈る時、証しはすべてのキリスト者に委ねられていること、そして、証しは無償で賜ったものを無償で分かち合う行為にすぎないことを心に留めたいと思います。