2011年8月  4.平和を実現する人々は、幸いである
 「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」(マタイ5・9)
 主よ、あわれんでください。私たちの生きるこの世界から戦争が絶えません。今日の新聞ニュースにもテロがあり、死亡者何名という記事がありました。日々悲しみが心に響きます。「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは敵対させるために来たからである」(マタイ10・34-35)という言葉を思い起こし、出来事に心を留め、思い巡らします。ここに「キリストに根ざして生きる」道を選ぶよう招く主がおられると私は感じます。私たちの中にある安易な憎しみ、嫌悪、敵意などの感情に流されることなく、責任ある愛を生きることが求められていると感じます。主イエスによって一人の人間として命を与えていただき、神の命にまで至るよう招かれ、主の言葉に活かされてこの歴史に参与することができる、そんな責任を思います。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」(マタイ6・33)との促し、平和の実現に今日を生きる信仰者の覚悟が問われていると感じます。
 教皇ヨハネ・パウロ二世は、広島に来られた時、次のように若者に呼びかけています。「ともに手を取り合って、友情と団結のある未来をつくろうではありませんか。窮乏の中にある兄弟姉妹に手をさし伸べ、空腹に苦しむ者に食物を与え、家のない者に宿を与え、踏みにじられた者を自由にし、不正の支配するところに正義をもたらし、武器の支配するところには平和をもたらそうではありませんか」と。イエスを信じる信仰をしっかりと生き、その信仰を困難があっても平和の実現に向けて生きてまいりましょう。