2011年9月  2.人を裁くな
 聖フランシスコ・ザビエルがはじめて日本の土地を踏んだのが、1549年8月15日、聖母被昇天の祭日でした。それは「地の果てまで福音を宣べよ(使徒言行録1・8)」といわれたみこころの望みに従うためでした。アジアの宣教は、独自の文化を持っていた国々に福音を伝えて、救いの歴史を完成させるためでした。
 今、アジアのキリスト者が共同体となって一つに結ばれて、情熱を傾けて福音を宣べ伝え、信仰の喜びをもって福音の美しさを証しすることが必要となってきています。
 アジアの文化はそれぞれに高い内容と思想を持っていて、キリストを信じている人々にもそれぞれに異なる考え方を持っているので、一致するのに難しい使徒たちもいます。ですから、互いに争い、時には裁くこともあるのでしょう。

 意見が異なると、つい相手を批判したり裁きたくなります。そういう人たちを眺めて、キリストは福音の中で「人を裁くな。それよりもまず、自分の目から丸太を取り除け。(ルカ6・37-42)」と言われました。この度の東日本大震災で津波に襲われた気仙沼の瓦礫の中から『ケセン語訳聖書』が無事に掘り出されましたが、その中で、キリストはケセン語で、互いに相容れようとしない人々に「偽善者(りっぱぶり)よ、まず其方(そなた)方の「目からその材木片(どろんこ)をとって棄(な)げろ」と言っているのです。
 大震災で不安になって、誰の責任だと毎日ののしっている政治家、民衆を見て、まさにキリストは、その地方の人々が分かるように語っておられるのだと思いました。
 アジアのキリスト者も、同伴者として共に神のみ旨に向かって歩むことが、大切です。キリストが最後の晩餐で「私の平和を与える」と言われたみ言葉を味わうことはとても大切です。人を裁くことなく、キリストの平和を求めて、日々過ごしてまいりましょう。