2011年9月  4.被災者の子どもとともに
 今年も秋分の日がやってきました。
 「この道を 行く人もなく 秋の暮れ」という句は有名ですが、日没が少しずつ早くなってくるとやはり人生を想います。人々はお墓参りをして花を手向け、亡き人を思います。今年は、特に大震災を体験し、互いに離ればなれになって、しかも突然親しい人が召されてしまった人も多いので、一層祈る心が深くなるでしょう。倒れた墓の前で家族を祈っている人々や、行方不明になった家族が見つかるようにと祈る人々、そして無縁仏になってしまった人々に手を合わせている人々。このような人々の顔を見るのは、つらくなります。合同慰霊祭で父親の写真をしっかり握りしめて「パパ」と叫んだ4歳の男の子の、クシャクシャになった顔がいつまでも眼から離れません。私たちは共に生きている限り、今月の日本の意向で教皇が指摘しているように、同伴者とならなければならないでしょう。

 福音の中で、ペトロはイエスに「それではあなたがたはわたしを何者だというのか」と問われて「神からのメシア」と信仰告白をしています。ケセン語訳聖書ではペトロは「神様のキリスト。お助け様でヤリアス」と、震災で苦しんでいる人々を代表して答えているようです。大変力強い言葉です。「神なんかいない」と嘆いている被災者の人々にとって、励ましの言葉となります。
 私たちも苦しいときほど、そして苦しみを抱いている人々の同伴者となり、「神様、あなたは、お助け様でヤリアス」と祈ろうではありませんか。