2011年10月  4.終末の床にある人々への支え
 二つの段階を考えることができると思います。
 一つは、病気の時、特に寝たきりの人々についてです。
 ある熱心な信徒が信仰を大切にし、孫にも信仰を伝えました。彼は2年前に寝たきりになって、従来のように活躍できず苦しんでいました。私は『人生の秋』という本を読みました。
 「神は最後に一番良い仕事を残してくださる。それは祈りだ。手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。愛するすべての人の上に、神の恵みを求めるために。」
 また、彼に私は言いました。「司祭はラテン語で『Pontifex』すなわち「橋を造る」という意味です。あなたは聖霊によってキリストの司祭職に属しています。あなたはこの病院と神との間の『Pontifex』(橋)となっています。毎日、この病院の先生の働き、患者たちの痛みと不安、看護婦と掃除をする人々の働きを神様に捧げてください。そして、橋は往復であるから、神様に病院の患者と働く人々のために恵みと健康と慰めを求めなさい」と。
 彼は病床で自分の使命を感じて、生き甲斐を味わって立派に『Pontifex』として尽くしました。

 もう一つは、臨終の時です。
 マザー・テレサのことを思い出しました。マザー・テレサは死を待つ人のために尽くしました。ある人がマザーに言いました。「既に死ぬ人々なのだから、彼らのためよりも、これから治る見込みのある人々のために尽くす方が、意味があるのではないでしょうか。」マザー・テレサは「それぞれ召し出しがあるでしょう。私にとって臨終と言うのは非常に大切な時だと思います。人が死ぬ時に、誰かからか愛されたということを感じさせて、その人を送りたいという使命を感じています」と答えました。
 確かに私たちは毎日、アヴェ・マリアの祈りの中で「恵みあふれる聖マリア、罪深い私たちのために、今も死を迎えるときもお祈りください。」と願います。

 「すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声を聞くだろう。『来たれ、我が友よ、我汝を見捨てじ』と。」

 人々が臨終を迎える時、この言葉を聞くことができるように祈りましょう。