2011年12月  1.私の言葉は決して滅びない
 2011年も最後の月がやってきました。
 3月11日の東日本大震災、そして、福島の原発の事故が重なり、半年たっても何一つ解決しないで、政治を見つめながら、人々は不安におびえています。まさにキリストが言われた通りです。「それから、太陽と月と星に徴が現れる。地上では海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。」(ルカ21・25)
 津波に流され、未だに行方不明で毎日家族を捜している人がたくさんいます。そして家を失い難民生活を余儀なくされて、年を越そうとしている家族も多く、特に小・中学生は学校生活ができずに、学校を転々とし、友だちと別れて孤独になっている児童・生徒もたくさんいます。さらに将来を考えて絶望的になっている高校生がいます。新聞の投書の中に「津波で将来まで奪われるなんて悔しすぎるじゃないですか」という記事がありました。これに対して政治家、将来に責任を持っている当局は、何と答えるのでしょうか。何を尋ねても決まりきった返答をする役人に「大人は子どものときに勉強しなかったのではないか」と辛辣なことを言った小学生がいます。
 それに対してキリストは福音の中で、はっきりと答えています。「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない(ルカ21・33)」と。今こそキリストの開かれた聖心を眺めて、その招きに応えましょう。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから(マタイ11・28-29)」決して追い返すことをしない、と言われます。
 世界難民移動移住者の日に、教皇ベネディクト十六世は、「すべての人間に生きる権利がある。住む権利がある。幸福追求の権利がある。たとえその国の律法がまだ認めようとしなくても、教会はその人々の権利を認めて、近くにいる隣人に手を差し伸べねばならない」とメッセージを出しました。このメッセージに心を留めましょう。