2011年12月  4.証し人を求めて
 降誕祭も間近になってきました。今年は特に、東日本大震災や福島原発事故で、多くの方々が苦しみながら、年末年始を迎えようとしています。今月の「祈祷の使徒」の宣教の意向は「福音の使者である子どもと若者」ですが、実際には避難生活の中で不安に苦しんでいる若者たちも多いことでしょう。地震や津波で将来まで奪われ、不安で悲しいと言う若者たちの叫びが連日のように聞こえてくるようです。

 その不安の中で、キリストの福音が響いてきます。若者が心から求めている証し人についてです。確かに若者だけでなく、現代人はすべて、将来について本当のことを言ってくれる人を探しています。キリストは救い主ですが、「わたし」について証しする者は三人いると言われます。一人は洗礼者ヨハネ。「あなたたちはヨハネのもとに人を送ったが、彼は真理について証しをした。ヨハネは燃えて輝くともしびであった」と。洗礼者ヨハネは文字通り「荒れ野で叫ぶ者の声」でした。そして、彼は「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」と叫びました。今、瓦礫が山のように続いている荒れ野に、ヨハネの声が響いています。心と心の道をつなげ、救い主がやってきます。そして、キリストは続けて「ヨハネに勝る証しがある」と言われます。それは父なる神の証しで、やがて生まれてこようとするキリストの証しです。「父なる神は、ひとり子を与えてくださるほどこの世を愛された」。貧しい馬舟で生まれて来ようとする幼子こそ、父の愛の証しなのです。

 避難所で降誕祭を迎えようとしている若者たちは、生まれてくる幼子を、自分の心の中の馬舟に迎えるために心の掃除をいたしましょう。心が清められて神の証しが見えてきます。そのとき、青少年相互の信頼が生まれてくるでしょう。
 ですから、キリストは、「わたしが行った業こそが証しである」と言われるのです。