2012年1月  1.平和のために祈る
 1月1日は「世界平和の日」です。この日は教会の中で、平和のために祈る日として伝統的に守られています。年の初めに、希望と決心のしるしとして、1968年に教皇パウロ六世によって定められました。
 今日、私たちは、世界がどれほど平和を必要としているかを知っています。世界には多くの未解決の武装衝突があります。しかし私たちは、マリアから生まれた幼子イエスを、平和の王として認識し、伏し拝んでいます。ですからキリスト者として、決して希望を失ってはなりません。ヨハネ・パウロ二世は、2002年の新年ミサで、平和の柱が正義と寛容であることを思い起こしてくださいました。私たちはこの新年に、平和の人になるように努力しましょう。
 楽観的に未来を眺めることが人間的には難しいと思われるかもしれませんが、絶望する誘惑に屈服してはなりません。それどころか、悪が勝たないであろうことを確信して、勇敢に平和のために働きましょう。この約束に対する光と希望はキリストから来ます。ベツレヘムで生まれた子どもは、私たちの救いのために肉となった、神の永遠のみ言葉です。彼は本当の平和の秘密を持って来られる「我々とともにおられる神」です。彼は平和の王子です。
 正義と寛容、これらは日本の平和のための柱です。正義と寛容は対立するものではなく、補い合うものです。なぜなら両方とも、平和を促進することに不可欠なものだからです。寛容は復讐のための渇きを癒して、人々の間で本物の、そして永続的な和解に心を開くことができます。
 今日私たちは、マリアが腕に抱く子どもに目を向けます。その幼子のうちに私たちは慈悲と真実が一致する、正義と平和が支え合うことを認識します。私たちは、神が全人類の救いのために定められた救い主を認めて、敬愛します。