2012年2月  2.「水」を求める人々
 「日本には資源がない」ということをたびたび耳にしますが、実は日本には、金より油より優れた資源が、豊富にあるのです。金と油は無くても生きることはできますが、「水」がないと死にます。「水」は日本にある価値ある資源なのです。
 アフリカのカメルーンやコンゴ、あるはアジアのカンボジアに行くと分かるのですが、旱魃になるとすべての動物、植物の命が死んでしまいます。しかし、雨期が訪れた途端に、息を吹き返し、すべてのものが生き返ります。「水」は、やわらかく、やさしく、命をもたらすものです。
 それらの国々では、小さい子ども(4歳から5歳位)がよく働いています。時々、小さなプラスチックの容器を持ち、家から数キロ離れた川から水を汲んで家に運ぶ姿が、どこでも見受けられます。日本で無駄に水が流れているのを見ると、アフリカの小さい子どもの姿が頭に浮かんできて、心が痛み、寂しさを感じます。カメルーンでは、湿度は非常に高いのですが、水が豊かではないのです。旅行者などは水が入ったバケツに足を入れ、シャワーの代わりにして体全体を洗いますが、井戸の水量が少ないので、すぐに水が足りなくなってしまいます。
 カンボジアには川が多く、その川で洗濯をし、生活汚水を流し、そしてその同じ場所から飲み水を汲んできます。ですから、下痢や他の病気が蔓延することは無理もありません。カンボジアでは、約1万円で1つの井戸を作ることができます。しかし、その井戸さえも不足しています。日本では、蛇口を開けると溢れるごとくきれいな水が流れ出てきます。しかも、そのまま飲める水なのです。
 生きるためには酸素が必要です。大自然はいくらでも自由に、ただで酸素を与えてくれます。呼吸はただです。しかし、生きるために空気のほかに必要とされるのは「水」です。しかし、水には制限があります。
 今月、神が、世界のすべての人々、特に貧しい人々に、「水」の恵みを与えてくださるように祈りましょう。人事を尽くして天命を待ちましょう。「水」が、すべての人々に届くように、互いに協力いたしましょう。