2012年2月の意向 |
日々の生活の中で、いのちをつなぐために必要な飲み水を手に入れることができない現実が、この地球上に存在していることは、実に痛ましいことです。国や地域によって、水ばかりか食糧までもが公平に分配されていません。しかし、地球上で生産される食糧は、決して不足しているわけではありません。 では、なぜ、毎年何百万人もが、飢餓のためにいのちを落としているのでしょうか。一つは、戦争や紛争のために、生活の場が奪われて、難民としての生活を余儀なくされるからです。もう一つは、人類が分配の方法について、知恵を出し切れていないからです。地球のあるところでは飢餓が進み、あるところでは飽食のうえに、食べられるものが大量に廃棄されている事実を真摯に受け止め、私たち一人ひとりの役割を、祈りの中で、探してまいりましょう。 一般: 水資源の確保 すべての人が、日々の生活に必要な水などの資源を、手に入れることができますように。 宣教: 保健・医療・福祉で働く人びと 世界の最も貧しい地域で、病人や高齢者のために保健・医療・福祉の領域で働く人びとを、主がいつまでも支え続けてくださいますように。 日本の教会: 出生前のいのちを守る 日本社会で出生前のいのちを含めたすべてのいのちが守られますように。 「人格はそれ自体において善であり、つねにその完全な発展が目指されなければなりません。さらに、すべての人に対する愛は、もしそれが真実なものであるなら、自然に、もっとも弱い者、貧しい者に優先して目を向けます。出生前のいのちに対する教会の関心もこのような視点のもとに位置づけられます。出生前のいのちは、大人の利己主義と曇った良心の脅威に何よりもさらされた、もっとも脆弱な存在だからです。教会は、人工妊娠中絶と出生前のいのちを侵害するあらゆることがらに反対する第二バチカン公会議の宣言を繰り返して述べ続けます。『生命は受精のときから細心の注意をもって守護しなければならない』(『現代世界憲章』51)。」 ――教皇ベネディクト十六世 (2010年11月27日 「出生前のいのちのための前晩の祈り講話」) |
写真: 小林 稔 S.J. |