2012年4月  2.何気なさの中に
 朝の散歩にでると、さわやかな春風が坂道を、新入生と共に登ってきます。朝の新鮮な空気が、さらに新鮮さを浴びて、喜び弾んで飛び込んできます。「おはよう!」「いってらっしゃい!」と、互いに交わす朝の挨拶。その何気なさの中に「人と人とのつながり」を感じます。そして「神と人とのつながり」も感じます。
 何気なさの中には、いつも人としての大切なものが含まれています。「当たりまえだ」という人がいます。そうかもしれませんが、でも今、「当たりまえ」のことが、「当たりまえ」でなくなってきているのではないでしょうか。それどころか、「当たりまえ」のことが忘れ去られてしまっています。イエスの言葉に「私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、私にしてくれたことなのである」とあります。正しい行いをした人を誉める言葉です。
 「ねばならない人」は、愛の実践を仕事として行い、その実践録を人に認めさせることに奔走しています。イエスの意図を勘違いしているのでしょう。イエスは自然に、「当たりまえ」のこととして実践するよう期待しています。ですから、イエスに従うことは、難しいことではありません。自然に、人として「当たりまえ」のことを、「当たりまえ」のこととして実践するのが、正しい行いなのです。
 人を愛することも、奉仕する喜びも、神に愛されていることを知り、人に愛されていることに気づいている人には、何も特別なことではないのです。
 何気なさの中、「人と人とのつながり」の大切さに気づいているでしょうか。ご復活を祝ったこの時に、「当たりまえ」を意識して過ごしてみましょう。