2012年4月  3.「人のための人」になること
 ある日、一人の中学生がニコニコしながら、「今、生きていること、一生懸命生きていること、素晴らしい。明日という日がある限り、幸せを信じて・・・」と歌っていました。この歌を歌うときは、悲しんで歌ってはいけないんだ、明日への希望・期待と夢を持って歌うことが、この歌の大切なポイントなんだ、と言っていました。「明日という日を」というこの歌は、今、東日本大震災の復興のために歌われている歌だそうです。
 彼は昨年の夏、東日本の被災地にボランティアとして一週間滞在しました。たった一週間で何がわかる、と大人たちは思いました。しかし、その中学生は一週間で一生分の素晴らしい宝物を戴いたのです。歌だけではなく、それまでの自分の生き方を見直し、新たに生き始めたのです。彼にとって東日本での夏は、狭いこれまでの自分の世界から広い世界への旅の入口になりました。
 汲々(きゅうきゅう)とした今の社会、こんな社会だからこそ「人のための人」になることによって、自分の道が見えてくるのではないでしょうか。希望のない社会、希望の持てない明日と言われる現代にあって、東日本での出来事はすべての人へ大切なメッセージを告げていないでしょうか。これまでの生ぬるい生活から脱却し、確かなバックボーンのある生活へ人は変わろうとしています。「人のための人」になることによって、人そのものが変えられていきます。キリストの望まれる人に変えられていくのです。
 希望のない社会と言われますが、実は希望の持ちかたを忘れていただけかもしれません。人生のバックボーンに気づかされたとき、求めていたもの、それは自分の中にあったことに気づくのです。