2012年4月  4.自己に向き合う
 人は誰でも幸せを願って生きています。不幸せになることを望んで生きている人は誰もいません。でもどうして「幸せです」と言える人が、少ないのでしょうか。それは、「幸せ」とは、主観的、積極的なものだからでしょう。
 どのような状況に置かれても満足できる人と、そうでない人がいます。誰でも厳しい状況に置かれている中で「幸せ」を感じることは難しいでしょう。それでも「幸せ」を感じられる人は、特別なのでしょう。しかし、どうしてそんな時、「幸せ」を感じられるのでしょうか。
 苦境の中でも「幸せ」を感じる人は、どんなに厳しい状況に置かれても、それは明日の「幸せ」へのプロセスであり、試練であることと受け止め、決して絶望しないのでしょう。むしろ喜んでそのプロセスを楽しみながら、分かち合う人なのでしょう。そして、自己に向き合い、いつも新たな自分を発見する人なのでしょう。それは何事にも代え難い貴重な宝であり、「幸せ」になれる秘訣でもあるのです。
 ですから、いつでもどんな時でも、人との交わりを大切にし、人のための人になれること喜ぶことができるように、なりたいものです。確かに、価値観の異なる世界に置かれるとき、人は不安を感じます。しかし、不安を超えて、魅了される何かをも感じることがあります。
 前向きに、積極的に生き方を変えていくとき、喜びと希望に満たされ、それまで聞こえなかったもの、見えなかったものに、気づかされるのです。その気づきによって、心の安らぎと希望を授かることができます。安らぎと希望を感じることは、これこそ「幸せ」になるための入口であり、キリストとともに歩む道ではないのでしょうか。
 主の復活を祝っている私たちが、希望であるキリストの導きによって、「幸せ」を感じる人になることができますように。