2012年5月  2.「絆」と刻まれた墓標
 聖母月に入りました。マリアの母性は新しい福音的出来事を私たちの間に生み出す(創り出す)ことを助けてくれると信じます。
 一年前、東日本大震災後の仙台で被災状況を調べるために、ある墓地へ行きました。墓石は転がり、墓穴があらわになってしまっていて、無残な状況でした。その中で墓地案内をしてくださった一人の高齢の女性Hさんが示す墓は、どうしたことか、びくともしていませんでした。その場所は幸いにも地震による亀裂が走った線を外れていました。しかし、墓石には個人名も家名も刻まれていません。墓標は「絆」とだけありました。お墓の中には連れ合いさん(やはり高齢で帰天された夫)が納骨されていました。
 「ここは、誰でも絆のある人で、納骨する場のない人のためのお墓です」と説明して、手を大きく広げて、皆を心から受け入れるかのような仕草をされました。墓地の放射能被曝はどのくらいかは分かりませんでした。その頃は福島原発の事故の実態は、操作的に情報隠しが行われ、一般には知らされていませんでしたから。
 一年の時が経ちました。夜でしたがHさんから「嬉しい知らせ」だと、電話が入りました。実は被災地で野宿者(ホームレス=路上生活者)が寒さの中で二人亡くなられたとのことでした。このことは悲しいことです。さらに、やっと捜し出した縁故者は、遺骨を引き取らないと言います。よくあることで珍しいことではないとは言え、物悲しくなります。しかし、東日本大震災という悲惨な体験の中のことです。縁故者を責めることのできない理由が、おそらくあるのでしょう。
 しかし、野宿者の方二人のために、お墓はきちんと用意されていました。「絆」の墓標のお墓です。このお墓を納骨の場のない人のために用意して待っていたHさんは、ただ人間であるということだけの「絆」で、人びとを、特に端っこに置かれて行き場のない人びとを受け入れています。
 このHさんのような生き方の中に、母マリアがお産みになったイエスによって示された、神の国の始まりを感じる、聖母月です。