2012年5月  3.すべての原子炉の稼働が止まって
 「宇宙史、地球史、人類史上初めてのこと」が、この日本列島の上で起きています。日本の原子力発電所の全ての原子炉が稼働を停止したからです。それも、日本の暦で端午の節句をいわう「子どもの日」に。もちろん収束などできない福島第一原子力発電所の崩壊した原子炉の傍で、生命を放射線に曝(さら)して、状況が少しでもよくなるようにと日夜働く人々、広い範囲の被曝地域で生活し働く人々はもとより、行政・経済はじめあらゆる分野の人々、わけても子どもたちとそれにかかわる人々の心痛・不安・怒りなど、どうしようもないものが覆っています。人間の虚傲と愚かさがもたらしてしまった、取り返しのつかない現実を前にして、日本の全原発停止状態を人類の新しいスタートの時と世界に祈り発信します。核燃料サイクルは頓挫し、原子炉廃炉化は恐らく不可能、低・高レベルの核廃棄物も処理は不可能、などなど。人類は「他の方法」で生きる知恵も、経済力も協力も、そして、壊してしまった自然からの助けも、まだ持ちうるのです。ここは、「神でない人間の限界」であり、人類の謙虚な従順が求められる時なのです。
 ヒロシマ・ナガサキの非惨・非人道的体験で世界を変革する使命を与えられた日本人にとって、果たしえなかったその使命へ、再び呼び出されたのでしょう。「被爆のマリア」から「フクイチの子どもたち」【編集者註:フクイチは福島第一原子力発電所のこと】へと続く、回心と改革の道のりへの「エクソドス」(出エジプトの神の導き)の始まりです。どのように、隣国、韓国へ、台湾へ、中国へ、そして世界へ、この原発稼働停止とこれからを伝え、人類のエクソドスを呼び起こし、長い共歩きが出来るのでしょうか。とにかく、後退しない、譲らない、今ひかれている線を生命線として、今までのいわゆる繁栄・進歩・開発の価値を問い直して、新しい人類の世紀へ進む祈りと実践を、聖母マリアの眼差しと心へ向けたいです。神の国へ歩み続けられる復活の主とともに。
 すべての原子炉が停止したこの今、もう一度昨年秋の司教団のメッセージに思いを致し、原子力と核のない平和な社会の到来を祈ってまいりましょう。