2012年7月  3.失業した人を支えるには
 今月の意向にあるように、「すべての人に仕事が与えられ安全で安定した労働条件が保障されますように」祈りましょう。福音を宣べ伝えるために、町や村を廻っていたイエスは、「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。(マタイ9・36)」。復活されて世の終わりまで私たちといつも一緒に居られると約束してくださったイエスは、同じ目と心を持って、現代世界の群衆を見ておられます。東京やローマ、世界の他の先進国の都会に、多くの人々が仕事を求めて集まっていますが、簡単に見つかりません。特に、現在の経済危機は簡単に解決されそうにありませんので、失業者が増えるだけでなく、野宿者もどんどん増えています。
 イエスは、さまよって集まってくるその人々を見て、今もなお、深くあわれみ、心を痛めています。私たちは、家族を養い、まわりの人々を支えるために、肉体と知恵とをいただいています。その力を仕事につぎ込んで、報酬を得て、子どもの教育も家族の医療も充実させることができるのです。その力が与えられているのに、仕事がないので、生かすことができないのです。
 イエスは、それを見て心を痛めています。若いのに、自分の家と国から出て、豊かな国に行って働いて家族を支えようとする人も少なくありません。しかしながら簡単に仕事が見つからなくて、お金のために自分の意に反した仕事につくこともあります。
 この失業問題は、簡単に解決することはできないでしょう。しかしながら、悩み苦しんでいる多くの人々のために祈るだけではなく、イエスと同じ目と心を持って、できる限り支えるようにしなければならないでしょう。
 私たちは、仕事が見つからずに苦しんでいる人々、野宿者や外国人の労働者たちを、隣人として支えたいものです。イエスと同じように感じ、行うことは、祈る者に求められている大切な姿勢なのです。