2012年7月  4.ボランティアの本質
 キリスト者が、キリストの模範に従って、それぞれが派遣された場でボランティア活動に励むことができるように祈りましょう。
 イエスが教えてくださった主の祈りは「天におられる私たちの父よ」と呼びかけることから始まります。天におられる父である神のもとに、すべての人は国境を超えて兄弟姉妹として、互いに支え合い分かち合う関係にあるという意味を含んだ祈りのことばです。従ってボランティア活動などの愛のわざを行うのは、なんらかの形で報いを受けるのではなく、同じ家族のメンバーとしてあたりまえのこととして行うのです。イエスは、私たちすべてを、一つの神の家族として位置づけています。イエスのこの想いが、私たちの上にも実現されますように祈りましょう。
 ある日イエスは、いろいろな夢を見ていたヨハネとヤコブとその母親に、次のように言いつけました。「あなたたちのうちで頭になりたいものは、みんなの奴隷になりなさい。それと同じように、人の子が来たのも仕えられるためだはなく仕えるためであり、多くの人のあがないとして自分の命を与えるためです(マタイ20・28参照)。」イエスはボランティアとは何であるか、その本質をこの言葉でよく示してくださっています。なんの利益も求めないばかりではなく、かえって、損するだけのように見えます。無理矢理にさせられたこともなく、自らをさし出して、ボランティアをするのです。そしてイエスは、最後の晩餐のときに、人たちの足を洗ってから、「わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである(ヨハネ13・15)」と話されました。
 私たちも人類すべてが神の家族になるように、互いに愛の行いを実践しましょう。