2012年8月  3.痛みを共感へと変える
 下関に派遣されたからでしょうか、韓国との地理的距離が近いこともあって歴史認識の違いや、従軍慰安婦問題に関わる人々と出会い、自然に意識も高められています。
 韓人教会のある長老が「韓国の従軍慰安婦とされてしまったハルモニたちの前に立つと自分自身が洗われる思いがする。なぜだろうか。それは、彼女たちが、自分たちを傷つけた人々をゆるし続けてきたからではないだろうか。3.11の東日本大震災から間もないころ、ソウルの日本大使館前でのデモに参加した。本来なら謝罪を求め、怒りの言葉を投げつけるべきだろうに、ハルモニたちの口から出た言葉は全く違うものであった。それは『日本のみなさん、どうか元気を出しなさい。そして、再び立ち上がりなさい』だった」と、分かち合ってくださいました。
 この分かち合いを聞いて、胸が熱くなりました。このような深い痛みを、ハルモニたちは他者への共感へと変えたのでした。その後、私は従軍慰安婦の映画を見ました。インドネシアで慰安婦にされたオランダ人女性は、それでも「どうか彼らをおゆるしください」と祈っていたといわれています。そして、あるハルモニの言葉は痛烈に心を打ちました。「私たちは、お金が欲しくて謝罪を求めているのではない。そうではなく、日本を罪から解放したいからなのだ」と言うのです。
 日本を覆っている閉塞感、他者への冷たい心、学校でのいじめ。日本人はこのように罪の中でもがき苦しんでいます。痛みを共感へと変えるならば、福島の事故の後に他国へ原発を輸出するなんて、ありえることでしょうか。
 下関には、韓国朝鮮と関わりのある場所がいろいろあります。しかし、その場所にどれほどの韓国朝鮮の人々の涙がしみ込んでいるかを知る人々は決して多くありません。私たちが罪から解放され、再び歩み出す道は、強者の論理ではないはずです。踏みつけられ、犠牲にされた人々の叫びを聞くことです。そこから新しいものへと変えられていくことができますように、敗戦の日の8月15日に被昇天のマリアさまの取り次ぎを願って、痛みを共感へと変える勇気を神が与えてくださるように、祈りをささげましょう。