2012年9月  4.シリアの人々と心を合わせて
 シリアでは今日も、多くの市民が銃弾に倒れ、愛する人を失った悲しみや戦争の恐怖が消えてなくなり、希望の光が見えてくるような兆しは全くありません。シリアに住むカトリックの友人から、「平和が訪れるように、互いにゆるし合えるように、日本の教会も心を合わせて祈ってほしい」とのメールが届きました。その友人は、目の当たりにした戦禍の情景を、全く語っていません。しかし、短いメッセージから、シリアの人々が苦しみの極限に置かれている状況が伝わってきました。
 人は、なぜ暴力に訴えるのでしょうか。どうして互いに殺し合わなければならないほどの対立が生まれるのでしょうか。この地球上から、戦争は無くならないのでしょうか。内戦でも国際的な紛争でも、話し合いによって平和的に、つまり、誰の血を流すこともなく、誰も暴力に訴えることもなく、互いに譲歩し合いながら、平和を守るという一点で、一致できる地平を見いだすことができないのでしょうか。
 イエスは、「剣をさやに納めなさい」(マタイ26・52,ヨハネ18・11)と仰せになりました。徹底的な非暴力を貫かれました。相手が暴力を振るっても「愚かもの」と罵ることもなく、死に至るまでそれを受け止め、御父に「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23・34)とさえ願っておられるのです。
 日本も、中国との間で、韓国、ロシアとの間で、国境線について互いに相容れない主張を述べています。私たちは、非暴力に徹するイエスの弟子です。シリアの内戦についても、また国境交渉においても、武力の行使は人類を滅びに向かわせるものとして、断固反対し、平和的な解決を求めてまいりましょう。
 この一週間は、私たち一人ひとりの心の奥に潜む暴力への誘いを、神の愛によって打ち消すことができるように、また、戦禍が終息に向かうように、祈りをささげましょう。