2012年10月  2.争うものは滅びへと向かう
 キリストは天に昇られるとき「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい(マルコ16・15-16)」と弟子たちに命じられました。このみことばに従って、聖フランシスコ・ザビエルは1954年8月15日鹿児島に上陸しました。それから始まった日本の宣教の歴史はまさに波瀾万丈でした。
 聖フランシスコ・ザビエルは、旅の途中1552年12月3日中国の山川島で孤独の中に帰天しましたが、1553年には4000人ものキリシタンが山口にいました。そして、その1553年に大道寺跡の教会で、日本最初のラテン語の歌ミサが捧げられたのです。降誕祭の真夜中のミサで「今日一人の幼子が生まれた」と合唱しました。実に神秘な預言でした。
 この幼子がもたらしたものは「正義と平和」であるのに、1587年7月23日、豊臣秀吉は突然のように伴天連追放令を出したのでした。この秀吉の態度にはいろいろな説がありますが、その一つに、宣教会の間の意見の相異があったことは否めません。イエズス会と次に入国したフランシスコ会の間に明らかに宣教態度に異なるものがありました。また、最初に宣教を始めたイエズス会と他の宣教会との間にも、宣教師を派遣した祖国の政治的、文化的、経済的相異から意見に対立が生じたことも否めないのです。
 キリストは宣教の初めからこのことを予見して「分かれ争うものは滅びる」と断言されました。そして「皇帝のものは皇帝に。神のものは神に」と政教分離を明らかにしました。しかし残念ながら、歴史は常に相争って滅びへと向かったのです。今改めて「福音宣教」の原点にもどり「言(ことば)は肉となってわたしたちの間に宿られた(ヨハネ1・14)」を読み返し、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された(ヨハネ3・16)」のみことばを福音宣教の原点として、この一週間を過ごしてまいりましょう。