2012年10月  3.恐れることはない
 庭を歩いていると何羽もの小鳥が、これまた繋がっている樹々の小枝をチュンチュン飛び廻っています。しかもこれだけの数が同時に飛んでいるのに、一羽として互いにぶつかることがありません。眺めていると、神の偉大さが感じ取れます。
 現代の「平和の使徒」と呼ばれる永井隆の自伝を読むと、回心に至ったきっかけが記されていました。戦地にいたときに、後に妻となる緑さんから送られた「公教要理」をひもといて、大きなショックを受けたのです。「人に最も大切なものは宗教で、宗教とは神に対する人の道」と記されていたのです。彼は島根県松江の出身で、出雲地方に育ったことから、神々の国の風土に慣れていたのでしょう。幼少のときから道を求め、真理を求めていたのですが「日が暮れて道遠し」の想いがあったとき、それをキリストはズバリ「わたしは道である。わたしに従いなさい」(ヨハネ14・6参照)と断言されたのです。
 今月の日本の教会の意向は「日本における諸宗教対話の推進」です。日本にはたくさんの宗教・宗派があって、一致することは祈りにおいてさえ簡単ではありません。ただ、生き方を求めて悩んでいる人に救いの手を差し伸べようとしている点では、同じです。人間はみな自分の道を求めて、それぞれに宗教的、倫理的理想を目指しています。また「何事のおはしますかは知らねども、かたじけなさに涙こぼるる(西行法師)」と手を合わせているのです。ただそこでいう「何事」がどのような状況なのかは別にして、道を求めて迷っているのも事実です。
 漢字の道は「ミチ」とも「ドウ」とも読みます。「ミチ」を求めて目的に向かって歩く「動き」でもあります。「ドウ」は座ることを示し、それが茶道、華道と人間の心の修行に連なります。「道場」に座りながらも「生きるとは何か」と悩むのです。それに対してキリストは「恐れるな。あなたがたはたくさんの雀よりもはるかにまさっている(ルカ12・7)」と、神が私たち一人ひとりをいかに愛してくださっているか、教えています。
 キリストの道以外に救いの道はありません。これが私たちキリスト者の信仰です。私たちは確信をもって諸宗教との対話を続け、迷う人々のために共に道を歩んでまいりましょう。