2012年10月  4.今の時を見分ける
 教皇ベネディクト16世は、第二バチカン公会議開会50年を迎えた今月11日より来年11月24日「王であるキリスト」の祭日までを、「信仰年」と定め、「信仰は受けた愛を体験として生き、恵みを喜びの体験として伝えるときに成長する」と述べています。体験を重視されているのです。確かに信仰生活で大切なことは、自分の喜び悲しみを体験として伝えることです。
 日本の司教団は「信仰年」の準備のために2012年6月8日、日本26聖人列聖150周年、さらに2015年3月17日切支丹復活150周年を記念して、特別に日本26聖人列聖、再宣教150年の意義を訴えました。(再宣教の開始と意義)
 1865年3月17日、長崎大浦天主堂で浦上のキリシタンが「私たちの胸あなたさまと同じ。サンタマリアのご像はどこ」と信仰を宣言したことで、日本のカトリック教会は復活したのでした。
 1614年の国外追放令から1865年の復活までの251年間、教会の建物はなく司祭もいませんでした。それでも「キリストの教会」は残ったのです。宣教師は最初から信徒共同体「こんふらりあ」を大切にしました。彼らは自主的に組織を維持し、祈り助け合いました。みんなで「おらしょ(祈祷書)」を手にし「天にまします我らがおんおや、み名尊まれ給え」と祈り、マリアに「ごたいないのおんみでましますぜずすはべねじいとでございます」と救いを求めたのです。
 今改めて「サンタマリアのご像はどこ」の質問を聞くとジーンと感じます。彼らはバスチャンの予言を信じて「七代たったらパーパの船がくる」と歌って、代々信仰を伝えました。それまで「水方」「教え方」を中心に「デウスパドレとスピリツサントの御名をもて汝を洗いたてまつる」と幼児に洗礼を授け、信仰を守り、キリストの教会を守ったのでした。
 今の時を見分けることは「信仰の原点」です。信仰年が始まったこの10月を、私たちの大先輩たちの信仰に思いを致して、過ごしてまいりましょう。