2012年11月  1.主よ、聖なる司祭を遣わしてください
 私たち皆はイエスに愛されて、イエスに選んでいただきました。しかし私たちがキリストの奥義のありがたさと深みを生きるために、主はみ摂理の中で、私たちのため司祭職を生きる人をさらに選んでくださいました。
 マルコ福音書に、「使徒たちを、イエスと共にいて、福音を宣教するために選びました」(マルコ3・14参照)と記されています。「イエスと共にいる」すなわち、絶えず私たちのために祈るためです。それは、単なる抽象的な祈りではなく、私たちの具体的なニーズに応えること、例えば、困っている人、孤独な人、一人寂しく生きている人、疎外されている人、貧しい人、不幸な家庭環境の中で生きざるを得ない人、障害を背負っている人などのニーズに応えることです。
 このような惨めな悩みに、共鳴することができるようにと、主は司祭にそれにふさわしい心を与えたのです。私たちが信仰を失った時、主イエスの復活の証し人となってくれる人です。
 このように「祈りの人間」となって、「主の癒しとゆるし」を知らせて、それに必要な恵みを分かち合うために、司祭は本質的に使徒的であり、「他人のための人間」なのでしょう。しかし、今ここで描いてきた司祭像は、理想であって、現実には存在しません。司祭も弱い人間です。司祭にも苦しい時があります。私たちの弱さを背負う使命もあります。
 司祭が司祭としての使命を果たすためには、信仰年を歩む私たちの、切なる祈りを必要としています。「主よ、聖なる司祭を遣わしてください」と祈りながら、日々をささげてまいりましょう。