2013年2月  1.平和の建設にかかわる教会
 平和は、戦争のない状態だけを指すのではありません。平和な社会を造るためには、すべての人の、人間としての尊厳が、平等に認められ、各人の人権が尊重されることを保証する必要があります。平和な社会の建設を推し進める教会は、当然、すべての人間の尊厳と人権が擁護されるようにつとめ、不正の被害者の側に立って、社会問題の正しい解決を求める運動にかかわることが求められます。日本カトリック司教団が著した『なぜ教会は社会問題にかかわるのか』(2012年、カトリック中央協議会)という指針は、教会のその基本的な立場をあらわしています。
 『なぜ教会は社会問題にかかわるのか』。この質問は教会の外部から投げかけられることもあります。「なぜあなたがたキリスト者たちは社会問題にかかわるのか」と人から言われることがあります。 一言で答えることができるでしょう。「教会は、かかわらずにいられないからです」。
 イエスの弟子にとって、信仰の実践は言うまでもなく重要なことです。イエスは「わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたとき飲ませてくれた」と言われました。この関わり方こそ福音書で述べられる最後の審判の基準です(マタイ25・31-46)。
 イエスが語った「よきサマリア人のたとえ話」が浮かんできます。不正の被害者が傷だらけになって横たわっています。そのそばを通った宗教者は、見て見ないふりをして通り過ぎましたが、よきサマリア人はとそこに留まり、はらわたを突き動かされて、慈しみを表しました。「あなたも同じようにしなさい、隣人になってください」とイエスは言われます。この慈しみこそ社会問題にかかわるときの基本姿勢です。平和の建設に関わる基本姿勢を確認しながら、この一週間の祈りをささげてまいりましょう。