2013年2月  2.平和と正義をもたらす教会
 イエスは山上の説教で「いつくしみのある人、情け深い人、人の痛みがわかる人は、幸いです」といったことを話されました(マタイ5・3-12、ルカ6・20-26参照)。このいつくしみから、平和と正義を求める力が湧いてきます。さらに、「迫害を受ける人は、義に飢え渇いていて、解放をこころざすので、幸いである」とも言われます。 
 毎日のように、不正による被害者の姿がニュースで伝えられています。戦争から逃げる難民、社会の片隅に追いやられる人々、経済・政治の権力から抑圧を受けている人々の叫びが、解放を求めています。この民の叫び声は、天まで届くと聖書で教えています(出エジプト3・9-10参照)。
 第二バチカン公会議は『現代世界憲章』の冒頭で、こう述べています。「現代人の喜びと希望、悲しみと苦しみ、特に、貧しい人々とすべて苦しんでいる人々のものは、キリストの弟子たちの喜びと希望、悲しみと苦しみでもある」(1項)。
 平和と社会正義を呼びかけた歴代の教皇たちは、福音の原点に立ち返る教会の刷新と社会の福音化に、全教会が努めるようにはげましてきました。また教会法も、人権擁護のための発言を教会の教える役務のなかで位置付け、次のように記しています。「教会は、社会秩序に関することをも含めて、倫理の原則をいつまでもどこまでも告知し、かつ、人間の基本的人権、または救いに関して必要な限り、あらゆる人間的問題について判断する権限を有する」(『新教会法』1983年、747,2)。
 今月の教皇の宣教の意向で「平和」を祈る私たちは、この一週間を、不正による被害者の心に共感しながら、身近で起きている社会問題に、自分なりのかかわりをもって過ごしてまいりましょう。