2013年2月  4.「ゆるしなしに正義はありません」
 カトリック教会の「正義と平和評議会」が果たすべき役割が誤解されてしまうのではないかと心配された教皇ヨハネ・パウロ二世は、1981年に『慈しみ深い神』という文書を著し、聖書に基づいた「正義と平和」のことをはっきりさせようとし、正義の促進と平和の建設は切り離すことができないと主張しました。なぜかと言えば、一人ひとりのキリスト者の正義と平和への関わり方は、キリストの慈しみによって支えられているからです。世間で言う正義と平和ではなく、キリストの正義と平和、聖書で使われている言葉では「シャローム」なのです。
 そして9・11のテロ事件の後で高まった暴力の連鎖を断ち切る必要性を感じたヨハネ・パウロ二世は、翌2002年の1月1日の世界平和の日のメッセージの中で次のように訴えました。「正義なしに平和はなく、ゆるしなしに正義はありません」と。
 私たちキリスト者は、この立場に立って正義と平和を求めるのです。それは「福音を広めること」であり、また「社会問題にかかわること」です。つまり、「信仰を伝えること」と「人権擁護にかかわること」は表裏一体になっており、切り離せないものだと、教会は教え続けています。
 詩編の言葉でまとめるならば、「慈しみとまことは出会い、正義と平和は口づけし」(詩編85・11)ということです。
 四旬節の歩みのうちに、平和と正義を祈り、あわせて、カリタスジャパンから示された「つなぐ2013 福島とともに生きる」を読み進めながら、平和と正義に招かれている私自身の小さなはたらきについて思いめぐらす一週間といたしましょう。