2013年5月  2.子どもに愛情と尊敬を
 非行少年や問題のある子どもの寄宿と教育のために設けられた児童自立支援施設「少年の町」を創設したカトリック司祭のフラナガン師は「悪い子どもはいない」という言葉を残しています。もし、子どもが悪いことをすれば、その教育を与えた大人である私たち自身の責任ではないでしょうか。子どもは常に前向きです。子どもにあれこれをしないようにと言うより、積極的に目標を与え、それに挑戦する道を開くほうが、むしろ効き目があります。
 私たちは高校生を連れて、毎年10日間カンボジアに行っています。生徒たちは日本に帰る時に、「今まで当たり前と思っていたことは、当たり前でないことがわかった」、「日本が平和で安全であること、毎日3回食事できること、両親が健全であるということなどや、そのありがたみを、今まで慣れっこになっていて味わっていなかった。これから一つひとつを味わって幸せとなり、神と両親に感謝したい」と感想を述べていました。カンボジアでの体験に基づいて自分の進路を決めた生徒もいます。医師や看護師を目指したり、まじめに英語を勉強しようと取り組んだりします。
 ボランティアとして東日本の震災復興支援に出かけた生徒や学生も、同じような感想を抱いています。ここに、去年カンボジアに行った高校1年生(当時)の作文の抜粋を紹介します。
 「他人(ひと)のために学び、他人(ひと)のために祈る」――このツアーに参加した一番の目的であった、カンボジアの貧しい人達の民家へ行きました。カンボジアの家は、私の想像を遥かに超えるほど貧しい所でした。飲み水や体を洗う水は雨水。家族は洪水の後だからタイへ出稼ぎに行っているという人や両親が出稼ぎに行っている間、その人の子どもたちはおばあちゃんが世話をするという家もありました。タオム村の青年たちは、私が遊んでいる時も、勉強している時も、一生懸命働き、その上、一生懸命勉強したいと言っています。私たちにとって当たり前と思っていたことが当たり前ではないということを改めて感じさせられました。私が通っている高校で最近「学ぶのは他人(ひと)のためだと初めて知った。祈るのは他人(ひと)のためだと初めて知った。」という言葉がよく使われます。今回、カンボジアの旅ではこの言葉の意味がよく分かったと思います。カンボジアの人たちのために、今私に何ができるかと言ったら、祈ること、一生懸命勉強することだと思います。