2013年5月  3.どのような司祭を望みますか
 今月、私たちは神学生の養成のために祈るよう、勧められています。どのような司祭に育てられることを、私たちは望んでいるのでしょうか。

・勉強と祈りと黙想によってイエスを知り、愛し、イエスに倣って生きる司祭になるように。
・「善きサマリア人」であるように、倒れた人々の傷に赦しと慰めの油と希望のぶどう酒を注ぐ司祭になるように。
・自分自身の限界を認めながら、与えられた才能と可能性を人々のために喜んで差し出す司祭になるように。
・喜ぶ人とともに喜び、泣く人とともに泣き、友として寄り添う司祭になるように。
・信者に聖体とミサの意味を伝えることのできる司祭になるように。
・最も小さい人々が飢えている時に食べさせ、渇いている時に飲ませ、貧しい時には富ますような、仕える司祭になるように。
・神を知らない兄弟姉妹たちに神の偉大さとその哀れみと優しさと慰めを感じさせる司祭になるように。
・青年たちの夢と生き方を認めながら、魅力溢れるイエスの姿を表す司祭になるように。
・高齢者の経験を尊重し、教会の中での居場所を提供できる司祭になるように。

そして、さらに、
・弱い人々の味方となる司祭。
・喜んで神と人々に仕える司祭。
・毎日のミサにおいてイエスと共に自分のすべてを神に捧げる司祭。
・聖霊の息吹をいつも受けとめている司祭。
・他の司祭と親しく付き合う司祭。
・自分の弱さと失敗を謙遜に受け入れる司祭。
・信徒のイニシアティブを応援する司祭。
・聖書とみ言葉を味わう司祭。
・短所より長所を見る目を持っている司祭。
・壁より橋を作る司祭。
・聖櫃のイエスと安らかに憩う司祭。

 もちろん、このすべてを一人の司祭に求めることは不可能ですが、私たちの望みに近くなるように、叙階までの養成の歩みを見守りながら、神学生のために祈りましょう。