2013年6月  1.聖母の訪問
 愛は、日々の行動で表すことが求められています。明日へ明日へと、その機会をのばさないことが肝要なのでしょう。今月の一般の意向は「相互の尊厳」です。現代は「神不在」と言われ、人々は誰もが自分のことでいっぱいで、黙々と一人で道を歩いています。無表情です。そのような暮らしの中で、相手の立場を理解することは、愛の行いの始まりの一つとなります。相手の言葉を素直に受け入れ、共に喜び、助け合うことで、本来の人と人との関係を取りもどすことができるのでしょう。
 先月末(5月31日)に私たちは「聖母の訪問」を祝いました。「わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう(ルカ1・43)」と突然の訪問を受けてエリサベトは叫びました。神のお告げを受けたマリアは急いで山里に向かったのでした。「あなたは男の子を産む」と天使に告げられ、「神にできないことは何ひとつない」とのメッセージに「お言葉どおり、この身に成りますように(ルカ1・38)」と受け入れましたが、このことを理解してくれる人に話したかったのでしょう。そこで、いとこのエリサベトが老齢で子を宿したと聞いて、自分の立場を理解し、尊厳をもって受け入れてくれるのはエリサベトだとすぐ判断したのでしょう。そして高齢な身重なエリサベトには手伝いが必要だとも理解したのです。ですから急いで旅立ったのでしょう。マリアとエリサベトのかかわりは、「相互の尊敬」の模範です。
 エリサベトは聖母の訪問を受け、挨拶され、しかも胎内の子が飛びはねたとき、すべてを理解し、「よかったね」と言ったのです。そして「主のお母さんがわたしのところに来てくださるとはどういうことでしょう。信じることのできるあなたは幸せです」と祝福を送るのです。
 「相互の尊厳」は相手を理解することができるようにと、神に憐れみの恵みを祈ることから始まります。ですから、キリストは今でも聖体の形で私たちを訪れて、「取って食べなさい。喜び悲しみを分かち合いなさい」とささやかれるのです。マリアとエリサベトのかかわり、そして、イエスと私たちとのかかわりを心に思い浮かべながら、その日出会う一人ひとりに尊敬の念を抱いてかかわることができるように、願い求めてまいりましょう。